隠された十字架:法隆寺論

(新潮文庫)1981

   梅原 猛 著


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津村幸治(工学部)

 古代の日本において、とりわけ魅力的でまた謎の多い人物は聖徳太子であろう。太子は 悲劇の人でもある。その時代における一番の英雄であり、また次期天皇の最有力候補であ りながら、なぜか生涯、皇子に留まり、息子の山背大兄皇子の時代に至って、法隆寺にお いて一族皆虐殺される。その世界最古の木造建築物、法隆寺もまた、多くの謎に満ちた寺 として知られている。本書は、この法隆寺の謎を解き明かさんとするものであり、この寺 が藤原氏によって、太子一族の鎮魂、もっと進めて怨霊封じ込めのために再建されたもの であると結論づける。どうして藤原氏が鎮魂せねばならぬのか。その究明こそが本書のテ ーマである。梅原氏は、法隆寺そのものの謎解きの前に多くのページをさき、山背大兄皇 子虐殺から蘇我氏滅亡、藤原氏興隆までの時代を綿密に見ていく。そして藤原氏がこの時 代、自身の繁栄のために陰謀策略の限りを尽くし、結果として、今日までつながる日本の 大きな枠組を、確立していったのだと力説する。当時、無念のうちに死した者の怨霊は実 在し、人々に害を及ぼすと真剣に信じられていた。太子一族の滅亡に藤原氏が一枚噛んで いたからこそ、彼らは復讐を恐れ、法隆寺を怨霊封じの寺として再建、寄進してきたとい うのである。このあたりの氏の論の進め方は、梅原節ともいうべき独特のものであり、慣 れない人には拒絶反応があるかもしれない。しかし、一歩引いた暖かい目で、忍耐強く読 み進めていくことにより、氏の知的冒険を楽しむことができる。本書は発表後20年以上の 年月を経ている。その間の専門家による反論や新たな事実によって、内容に事実とそぐわ ぬ点があるかもしれない。だが、本書の冒頭における、常識にとらわれず、ただ事物を正 しく判断する理性をもって、その解決に臨むべきであるという主張は、本書での達成の如 何に関わらず、どの分野にも当てはまる普遍的真実であると思う。
culis@ll.chiba-u.ac.jp Jun. 1995