個人空間の誕生:食卓・家屋・劇場・世界

せりか書房 1993

   イーフー・トゥアン 著(阿部一 訳)


(社会科学) [書誌所在情報] [みなさんの感想]

渡辺秀俊(工学部)

 例えば、「住宅における個室とは何なのであろうか」という素朴な疑問をきっかけにし て、建築における人間と環境との関係について深く洞察する機会を与えてくれる本である。

著書イーフー・トゥアンは、中国生まれの地理学者で、現在はウィスコンシン大学で教 鞭を執っている。本書に先立つ名著 『トポフィリア』 以降、著者は、社会科学と人文科 学両者の方法や資料を用いて、西洋における個人主義の発生と環境の分節化の重なりを歴 史的な視点から解きほぐすことを基本的なテーマとしてきた。西洋における近代的な個人 の発生は、社会学者や歴史学者が既にテーマとしてきたところである。地理学者の著者が この問題にアプローチする独自性は、自意識の発生という心的事象を空間の分節化という 環境的・建築的視点から解明している点と、未開発社会や中国などの他地域の事例を通し て西洋(ヨーロッパ)の特殊性を様々な学問領域から横断的に相対化している点にある。

 本書の中で著者は、個別化とは、まず周囲の環境や他者と距離をおいて接するようにな ることであり、このとき大きな役割を果たすのは「見る者・見る場所」と「見られる者・ 見られる場所」を分離する視覚であることを述べている。すなわち、意識と空間は視覚に よって同時に個別化するということであり、これは建築を志す者に重要な示唆となる。

 近代の始まりと同時に起こった全体から個への分節化の事例は、部分的に読んでも興味 深い。例えば、大騒ぎの粗野な食事から用途別の食器とテーブルマナーが確立した食事へ の変化、広間での雑居状態から個室へのひきこもりへの変化、観客と役者が一体化した劇 から純然たる観る劇への変化などが紹介されている。これらの変化の背景には、音や香り よりも視覚が重視されるようになった変化があり、近代の成立と視覚との密接な関係が語 られている。こうした事例の中に、近代が失ってきたものを裏読みするのも楽しい。


culis@ll.chiba-u.ac.jp Jun. 1995