史記

筑摩書房 1971

   司馬遷 著(小竹文夫、小竹武夫 訳)


(歴史) [書誌所在情報] [みなさんの感想]

前田康博(法経学部)

 本書はたんに西方世界の古典的史書(ヘロドトス 『歴史』、ツキュディデス 『戦史』、 プルタルコス 『対比列伝』 等)とくらべてばかりか、『漢書』 以後の中国史書とくらべ ても、格段に構成が周到に工夫されています。

 それは、まず、伝説上の黄帝に始まる統治者についての<本紀>と、『漢書』 以後に も踏襲される<列伝>との間に<世家>の区分を設けるところにも、礼・楽・天文・その 他の百科全書的知の集成のみか邦訳では省略されている年表を備えているところにも明ら かなとおりです。

 しかも秦から漢への過渡期の覇者・項羽と高祖没後の実権者・呂后は<本紀>に、(た んに春秋・戦国時代の諸国王家系ばかりか)孔子や「王侯将相イヅクンゾ種アランヤ」と 叛秦への口火をきった陳渉は<世家>に、それぞれ独立の巻が与えられています。

 『史記』 の構成の独自さは、じつに独自の人間観に発するものでありましょう。たと えば、「刺客列伝」では、刺客が「賢人」と評されます。たしかに、現代でも打算を動機 とする職業的殺し屋はいるわけですが、『史記』 ではことさらに人柄をみこんで依頼さ れた刺客です。それはおそらく、平凡な生にかえてあえて依頼者の意気に感ずる人格への 評価なのでしょう。

 周王室の史官の家系に生まれた司馬遷が、本書を準備して七年目に北辺民族に囚われた 友人のかどで宮刑(去勢刑)に処せられ、絶望の淵から、先人が逆境の中で 『周易』、 『春秋』、『離騒』 等の著作を生みだした列に加わるべく「人ミナ鬱結スルトコロ、ソ ノ道ヲ通ズルヲ得ザルナリ、故ニ往時ヲ述シ、来者ヲ思ウ」と<列伝>最終巻の自序で記 しているのはよく知られているとおりです。

 『史記』 の世界では、人々はあっさりと人を殺し、また自ら恥じるあまり、あるいは 証しをたてるために、あっさりと自死します。質朴な北方民族の謀臣となった漢人の口を かりて中国的奢侈への批判もきかれます。人間の可能性がたんに現在の偏平化状態にかぎ らない、と見るためにも、「鬱結」がいかに昇華できるかを知るためにも、本書をすすめ ます。


culis@ll.chiba-u.ac.jp Jun. 1995