身体教育を哲学する:体育哲学叙説

北樹出版 1993

   佐藤 臣彦 著


(スポーツ・体育) [書誌所在情報] [みなさんの感想]

杉山英人(教育学部)

 「体育」というと、通常「体育・スポーツ」と並記されて使用されることからもわかる ように、「スポーツ」あるいは広い意味での「運動すること」と同義なものと理解される のが一般的である。例えば、東京オリンピックを記念して制定された休日である10月10日 の「体育の日」(英訳は'Health-Sports Day'である)は、日頃あまり体を動かす機会のな い者が、自分の健康を意識して積極的に体を動かしたり、スポーツなどの運動をするため のものと理解されている。そうすると、「体育」は特に不都合がなければ、やってもやら なくてもよいものということになるであろう。

 しかし、「体育」は、本来「身体教育」を意味する'physical education'の翻訳語として成 立し、「関係性」がその中心となる教育概念として理解されるべきものなのであり、スポ ーツあるいは身体運動のような「実体性」がその中心となる文化概念としては捉えられ得 ないものなのである。つまり、教育が人間にとって必要不可欠なものであるように、 「体育」もまた人間の存在にとって欠くことのできないものなのである。 これは、「言語使用」 と同様に、人間を他の哺乳動物と区別する特徴である「二足歩行」を考えれば理解される であろう。アヴェロンの野生児の例を出すまでもなく、 「生理的早産」である人間の場合、 ある一定期間に他者(通常親)からの働きかけ(体育)がなされなければ人間にとって最 も基本的な能力の一つである「二足歩行」さえも不可能となってしまうのである。教育及 びその一領域である体育がなされなければ、生物学的存在としての「ヒト」は文化的存在 としての「人間」にはなり得ないのである。

 本書は、「体育」という用語の概念分析を通して、「体育」について 一般的に流布してい る見解の誤謬を明らかにすると共に、「体育」が本来人間の存在にとって必要不可欠なも のであることの理論構築を試みたものであり、この種のものとしては、推奨に値すると考 えられる。


culis@ll.chiba-u.ac.jp Jun. 1995